葛藤
まりこ:今聞いててすごい、なんだろうな、葛藤もそうだけど、その葛藤にちゃんと直面する勇気というかさ。流すこともできると思うんだよね。別に、そういう人たち、私とは関係ないって。含まない選択もあるしさ。簡単に距離を取ることもできる中で、わざわざ葛藤するというか。
くみこ:確かに。それは言われる。居心地がよい人と一緒にいればいいじゃんって。なんでわざわざそんな傷つくとこに出て行って、「なんか違う!」ってプンプン怒って帰ってくるのって(笑)わざわざ行く、みたいなところが、性質としてあるね。
心地いいところにいて、みんなに見守ってもらって、安全基地で。そういう場も、もちろん私にも必要だし、そういう場所への感謝もあるんだけど。なんかそこでエネルギー充電すると、すぐ出て行きたくなるんだよね。
あははは。
よし、行ってみよう!みたいな感じでさ。フフフッ。
あくなき探求心と葛藤だね。本当に。
わざわざ葛藤作り出しに出かけてね。
でも、それだけ異質なものを含みたいというか。自分の中にも含みたい。社会の中に含まれたいっていうその願いを諦めきれない感じが、めちゃくちゃ伝わってきた。
ねえ。そうだね。
そんなに出会いに行こうとなれないし、遠ざけたくなるのが普通というか。
なんかその辺りは、こうあるべきってというよりは、そういう生き物なんだ自分はっていう感じかもしれないね。
なんかその生々しい葛藤を何回も何回も体験してるくみちゃんが、対話の場にいてくれる。だから安心感があるよね。そこからホールド力が生まれるのかなって思った。
ね。この前、恰幅がいいファシリテーターって言われたよね。
アハハハハ。いや、まさにそういう感じ。
あはは。私、あれ結構気に入ったんだよね。多分「度量が広い」って言いたかったんじゃないかなと思うだけど(笑)でもいいよね。よくジブリとかに出てくる、恰幅のいいお母さんいるじゃん。ああいう風になりたいなって思うもんね。自分も。
いや、そういう感じがする。「対話の場」って言われてイメージするものって綺麗で美しくて、なんかこう整えられた空間だったりする。怒りとかも美しいよね。みたいな。
でも、くみちゃんがその場にいると、まさに喜怒哀楽がそのまんま生々しいまんま、それが含まれていくっていうイメージがある。
それは、すごく自分のやりたいことというか、スタイルを指してるかもね。
その時その場のいい感じではなく、リアリティをどうしても持ち込みたいし、生々しさからこそ、いのちの声が聞こえるというか。
この五年で、私が出会ったすごいと思うダイアローグの使い手っていうのは、言葉だけじゃなくて、「いのちの声」を聞くことができる人たちなんだよね。その質の対話に、今は夢中。