ドットダイアローグが見たい世界
まりこ:じゃあ、そのドットダイアローグの作りたい世界とか見たい世界、ビジョンってあったりする?
くみこ:作りたい世界ね。今の自分は、野心があまり強くないのが正直なとこなんだけど。自分の持ち場でやれることをやっていきたいなと。でもやっぱり周辺化されているものを、いかに含められるかという挑戦ではあると思うね。
うーん、周辺化。自分から周辺化?社会から?
両方だね。
すごい挑戦だね。それは。
あはは、でもそれこそが、自分の中ではダイアローグっていうかね。異質なものとの出会いとか、自分ではないもの。自分ではないと思っているものを、もう一回含み直すことで、新しい自分になっていく。それは組織とか社会もそうだと思うんだけど。
うーん。その周辺化する自分を、自分から遠ざけたいから、きっと周辺化されると思うんだけど。それを含んでいくために、大事にしてることとかある?
難しいよね。正直ね。「周辺化しない状態」っていうのは、そもそも絶対ないじゃん。だから周辺化はし続ける。何かしらあるのは、前提として。そういう自分さえも含んでいくってことかもしれないね。だって人って周辺化するものだものね。
そうね、そうしてしまう自分も含む。
そう、そうすると、自分と周辺化している何かの境目が、ちょっとだけ緩む感じがする。逆に「私は何も周辺化してないんです!」って思えば思うほど周辺化するっていう。
そうだよね。だって周辺化してる自分は周辺化している。
あはは。そうそう。マトリョーシカみたいなね、感じになるから。常に私も社会も周辺化し続けるんだっていうところに立つ、ということかもしれないね。
なんか常に変わるじゃない?自分の中心というか、自分自身が変わっていくから周辺化されるものも変わってく。例えば、自分の苦手な人とか、異質な人間と出会うと、やっぱり自分が反応するというか。そういう時って、くみちゃんはどうその人と向き合ったり向き合わなかったりとか、どういうふうに関わっていくの?
やっぱ自分もさ、全然できないわけ。私は思うに全然できないからそれをやり始めるみたいなところがあると思うんだよね。コーチングも。そもそも私、当時はコーチング的なことが全然できない人間だったんだよ。
ええ。想像できない。
あはは。当時は、人の話を全く聞かないし。自分の意見の押し付けが全てだったから。まあ、当時はそういう風に一生懸命生きてたわけ。で、コーチングに出会って、できてないっていうところに初めて立てて。今もさ、もう周辺化が大得意なわけよ、私は。
だから、そういう異質なものに出会うと、自分もものすごい動揺する。自分が否定されたような気持ちにもなるし、その人を否定したい気持ちも、どうしても出るしね。
リアルだね。
でもそこで、ものすごい葛藤があるっていうのが大事なのかな。葛藤があるから、取り組もうと思うじゃん。そこにあんまり苦労がなかったら、たぶんあんまり興味も持たないのかもしれないね。
自分も今でも、なかなかチームワークがうまくやれないっていうのが、自分の中で常にあるんだよね。誰かの考え方とか、伝え方が嫌だとかね。でも自分も相手も関係性も、そのままでも嫌だっていう思いもある。
そうすると、そこがすごくうまくやれるって、どういうことなのかなという興味がわく。それで、オープンダイアローグとかプロセスワークとか、新しいダイアローグのテクノロジーが今も世界中で生まれているわけなんだけど、そういうことの学びへ自分を向かわせるっていう。
いやー、本当なんかあくなき探求心というか。
あはは。あくなき葛藤だよね。